こんにちは!海外事業部1年、佐藤理沙です。
もうすぐでFESTに所属して1年近くになりますが、今回が初めての渡航であり、初めてのフィリピンです。
親の仕事の関係で今まで数々の東南アジアの国々には訪れたことがありますが、同じ東南アジア内でも生活や町並み、人々、宗教、食べ物など、様々なことが国によって異なり、とても新鮮に感じています。
そんな初渡航で私は普段の生活には考えないようなことを考えさせられる機会が与えられ、新鮮に感じています。
具体的には、改めて国際協力とは何かということです。
実際支援している現地に入ってみると、日本の通常活動だけでは想像できない生活をしていて驚きました。密集した地区で人々と動物(鶏、犬、猫、ネズミなど)が共生し、大人でも疲れたら昼寝をし、子供たちは外で四六時中遊び、おなかがすいたら近くの木に生えているマンゴーを食べ…すべてが日本では想像できない生活です。
今回私が水道建設プロジェクトに参加しているように、支援地には水道もありません。普段の自分の生活と比べたら決して豊かな生活でもないし、人によっては「かわいそう」と感じる生活かもしれません。
しかし、今回の渡航で私は「かわいそう」という感情どころか「うらやましい」と感じました。
なぜかというと、現地の人々の笑顔、表情が普段日本の生活では見られないほど輝かしかったからです。
考えてみると、私たちの団体が現地と関わる以前に人々の生活は成り立っており、むしろ忙しさに追われている自分の生活の方が「かわいそう」なのかもしれないと思います。
暑いときにはエアコンをつけ、何か調べたいと思ったらすぐにインターネットで調べ、暇だと感じたらケータイのアプリで遊び、という普段の自分の生活を振り返ってみれば、確かに便利であり、何不自由なく生活しているかと思います。
ですが、果たして便利な生活、何不自由ない生活が人々にとっては幸せなのでしょうか。そのようなことを私は無邪気な顔で笑う子供たちを見ながらひたすらに考えていました。
比較する対象ではないのかもしれませんが、無縁社会、自殺者数が3万人以上、孤独死という単語を耳にする日本と、住人同士狭い地区で助け合い、無邪気に笑う子供たちの生活を見ると、フィリピンの方が精神的にゆとりがあり、「うらやましい」社会であると感じます。
そんな「うらやましい」と思う現地の生活に対し、より現地の人が便利な生活ができるようにと願って支援、活動するのは果たしてよいのだろうか、むしろ文化的破壊に繋がるのではないかという自分の中での矛盾と私は最近は戦っています。
もちろん「かわいそう」「うらやましい」という感情は人それぞれであり、感情だけで国際協力しようとは思っていません。
ですがいつかこの自分の中での国際協力へのモヤモヤが少しでも解決されればいいなと思います。
海外事業部 佐藤理沙
