3/29(Sat)
Today's member: 竹村帆丘
こんにちは。
フォトワーク事業部長の竹村帆丘です。
今回の渡航が4度目であり今回もまた1ヶ月間フィリピンにいます。完全にフィリピンが自分にとってのアナザースカイです。笑
そんな中で自分が今回の渡航中で感じたことの一つに「慣れへの怖さ」がありました。
フィリピンで生活をしていると日常の中に物乞いをする人やストリートチルドレンなどを多く見ます。実際に外国人ということもあり物乞いなどは多く受けます。その事に対して慣れはじめてしまう以上に何も感じなくなりはじめてしまっている自分がいることに不意に気づくときがありました。
その時、自分がすごく怖くなりました。
「慣れる」ことはあっても、それに対して「何も感じなくなる」ことはあってはならないと。
この事は自分のなかで大きい気づきであり改めて考えるきっかけになりました。
話は少し変わり、一応フォトワーク事業部として少し写真の話をしたいと思います。
自分の今回の渡航でのちょっとしたこだわりとして50mmの単焦点レンズだけを使っていました。分からない人も多いかと思うので少し説明すると50mmの単焦点レンズはズームなどは出来なくて50mmの決まった画角でしか取れないレンズです。そのため自分で動いて相手との距離感を測っていきます。
そして時々、そんなこのレンズの物理的な距離感が人と向かい合うときにちょうど良く、精神的な自分と相手の世界の距離感と重なり合う感じがあります。その時、個人対個人の世界で写真が撮れる気がします。
何を言っているのか自分でもよく分かりませんが、そこは凄く感覚的なことなのでご了承ください…
もう一つは自分のなかでのカメラのあり方です。
今までは相手とコミュニケーションをとるきっかけとして、自分の中でカメラがあったような気がします。しかし、今回はコミュニケーションの先にカメラがありました。相手とのコミュニケーションの先に自分の感情表現の形として1つ写真があり、自分なりの相手を理解する方の1つとして写真がありました。
写真には少し怖い側面があり、見ている人を「思考の完結」に落とし込んでしまう場合があります。人々の笑顔の写真を見てこの人たちは幸せなんだとか、逆に悲惨な写真を見て自分には何も出来ないと虚無感に落ちたり…
しかし、本来写真は「思考の契機」でないとならないと思います。写真が写す事が必ずしもすべて真実とは思わず、そこで完結せず、そこから何かを感じ、考える、契機することが回り回って循環し、いつか還元されていくのかなと思います。
まとまりのない文になってしまいましたが、渡航中はこのような事やそれ以外の事も多く考える時間がありました。やはり渡航の時間は凄く自分にとっても特別な時間なんだなと実感しています。そんな時間や日常での時間に対しても「何も感じなくなる」ことがないようにありたいです。
長文、駄文にお付き合いいただきありがとうございます。
最後に実はこれは渡航後に書いているんですが…
今回の渡航も無事終えることができ、FESTメンバー、OBOGの方々、両親、現地の方々、関係者の皆様に深く感謝を申し上げます。
フォトワーク事業部
竹村帆丘