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—治貴くんと言えば、2012年夏の渡航でデング熱にかかったことがFEST内では有名ですが(笑)その時のエピソードを詳しく教えてください。
 

前回の夏の渡航で3週間フィリピンで過ごすことになって。3週目に差し掛かったときに急に体調が悪くなって、気付いたら熱が40度くらい出てたんですよ。原因は蚊だったんですけど、刺された記憶も無かったし、それまで何ともなかったから、まさかデング熱だなんて思わなくて。翌朝になっても熱が下がらなくて、病院に行って看護士さんに脅されてテストしたら、本当にデング熱で。終わったって思いましたね。それからもずっと熱が全然下がらなくて、帰れないかもしれないとさえ思いました。何とか退院させてもらって、デング熱をもったままスーツケースを引いて帰国。もう、飛行機の中が本当に辛くて!帰国後もスーツケーツ引いたまま病院行って、また1週間入院。まあ保険にちゃんと入ってたので、医療費は何とかなったし、その経験が就活のネタにはなったんですけどね(笑)


 

デング熱は辛かったですか?
 

正直死ぬと思いました。看護士さんに”Am I going to die?”って訊いたら、”Your body is fighting.”って言われて、もう泣きそうになりましたね。付きっきりで看病してくれたメンバーにも申し訳ないし、これで本当に死んだら家族に何て言おうって、ずっと考えてました。でもまたフィリピンには行きたいなって思うんです。次にデング熱になったときの致死率は上がっちゃうんですけどね(笑)あの時活動できなかった、失われた1週間をどうしても取り戻したいんです。


 

渡航でいちばん心に残っていることは何ですか?
 

やっぱり、最初のコミュニティ開発かなぁ。あれをやらなかったら、今協力してくれている人にも出会えなかったと思うし、いちばん最初にあれをやっておいて本当に良かったなって思います。成功とか失敗とかじゃなくて、最初はFESTとマボロとの接点がまったくなかったから、やったってことがとにかく良かったなって思うんです。今はプロジェクトをやろうって思ったら、成功するかはわからないにしても、実行はできるじゃないですか。その体制を作れたのは、いちばん最初に交流の機会をもてたからかなって思いますね。

 

 

今は、マボロに住む人たちと日本にいながらにしてメッセージのやりとりができますよね。それに比べて当初、相手が見えない状態のなか、手探りでコミュニティ開発というプロジェクトを進めていくのは難しかったですか?
 

現地の声が無い状態でプロジェクトを進めていくのはやっぱりしんどかったです。NPOの人に話を聞きに行ったりとか、学校の図書館で誰も借りないような国際開発の本を借りて来て、問題解決の手法を勉強したりとか。でもそれが役に立ったなーとは、実はあんまり思わないんです。問題解決の手法とか、まあどこでも使えるものはあるけど、やっぱり基礎みたいなものにマボロを当てはめていくわけで。実際はそんなにうまくいくわけないんですよね。実際に渡航に行っても、最初の2回くらいはプロジェクトが思うように進まなくて。情報が無いっていうのを言い訳にしてたんですよ。今こんな風に、教育プロジェクトを実際に進めたりなんて、考えられなかった。だからもう、なんか感慨深いですよね(笑)


 

マボロの人々とFESTの関係の転換点はどこだったと感じてますか?
 

えー、やっぱり取り壊しじゃないかなぁ。あれまでは情報が無い事を言い訳に特に何の実績もあげずに、調査調査って、そればっかりやってて。そして現実に取り壊しが起きてしまったんですよね。そこで食料支援をやることになって、被害に遭われた方にひとりずつお米と缶詰を手渡したんですよ。それから、FESTはちゃんと自分たちを助けてくれる人なんだって、マボロの人に思ってもらえたのかなと思います。それまでは、ただ遊びに来てた人達にしか見えてなかったのかなって。信頼を築くのにはやっぱり時間がかかります。学生だからずっと現地にいられるわけじゃないし、だからこそ短期完結は難しいんですよね。でも今はプロジェクトをやればちゃんと成功させられる環境が整っていると思うから、短い渡航期間の中でベストを尽くすことが大事だなって思うんですよ。そしてまた次の支援先で活動をすることになったら、協力者を見つけられるかどうかが、FESTというコミュニティと現地というコミュニティを結びつけられるかに関わると思います。


 

文化の違いで驚いたことはありますか?
 

やっぱりフィリピンタイムかなぁ。とにかくフィリピン人は時間にルーズで。でもルーズっていうのは日本人の感覚で、彼らにとってはそれが普通なんですよね。初めてマボロに行ったときに、プロジェクトの中で集会を開くことになって、2時に来るように住民に呼びかけたんですけど、まあ来るわけもなくて。理由を訊くとフィリピンタイムだからって、自分たちで言うんですよ。それがまたイライラするんですよね(笑)もー、自分で言うなよって(笑)でも、それくらいかなぁ?あとはあんまり驚かなかったですね。でも交通事情とか、生活環境とか、日本と違う事は山ほどあります。それは自分の肌で感じるべきだと思いますね。


 

渡航を重ねるにつれて、現地への考えは変わっていきましたか?
 

FESTに入る前にフィリピンに行ってもっとひどいスラムも見た事があったから、イメージは沸いていたし、自分はあんまり変わらなかったですね。でも回を重ねるごとに、自立へ向かおうというマボロ住民の意欲は感じられますよね、やっぱり。

 

マボロの中の人間関係ってどうですか?
 

それはなかなか難しい問題で、一見温厚に見えるし、仲良いって彼らも言ってるんですけど、絶対コミュニティの中には利害関係だったり、ぎすぎすしたものもあるはずなんですよね。いまFESTに協力してくれている人と、マボロの住民の間にもまた新しいコミュニティができるわけで、そこにも必ずぎすぎすしたものは生まれてしまうんですよ。そこにもっとFESTが入って行って、人間臭い何かを知って、そういうものを含めてプロジェクトを立てていかないとって思います。もっと人間関係の中に入っていくような、コミュニティの中に入って行くようにしないと、今後はだめなのかなって。

 

自分にとって、FESTとは、マボロとは何ですか?
 

人と人、地域と地域のコミュニケーション作りの輪、ですね。

 

読者へひとことお願いします!
 

記念すべき初刊が僕の記事でいいのか、という戸惑いが大きいですが、拙い言葉の中から、何か皆様にお役に立つことができれば幸いです。

p.s.

デング熱、情報提供いたします!笑

 

 

 

2代目海外事業部長

松下治貴

実はメンバー間でも、マボロやFESTへの思いや経験を話す機会って、なかなか無いんです。

FESTメンバーとしてフィリピンへ渡航する中で、どんなことを思い、学び、何を感じたのか。

たっぷりと語ってもらいました。

※取り壊し:2012年3月の渡航中に、マボロの一部の住宅が取り壊されました。当時はまだ理由など詳細なことはわかりませんでしたが、FESTは緊急で食料支援を行いました。

コミュニティ開発プロジェクトの様子

緊急支援の様子

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